製紙博物館で受け継がれる
手漉きの伝統
1905年に手漉きによる製紙が打ち切られ、1930年代には板紙製造機の稼働も止まり、生産設備が売却されたことで、ドゥシニキの工房では製紙の伝統がおよそ40年にわたり途切れていました。幸い、1971年に手漉きによる製紙が再開され、かつての工房は、展示だけではなく、中世の技法による紙漉きの工程を見学できる「生きた博物館」に変貌したのです。
現在、ドゥシニキの製紙博物館では、A2からA6まで各種サイズの紙が見学用に手作業で漉かれています。特に力を入れているのが透かし入り紙の製造です。当初の透かし模様は、 聖ペテロ像をあしらった飾り文字の「D」、当時の製紙工房西側の景観に特徴的なヒバの高木を配した工房の輪郭など、ごく限られていましたが、1987年には「文化遺産ドゥシニキ=ズドゥルイ製紙工房にて西暦1987年に手漉き」という文字を透かしに入れた紙も漉かれました。1996年には、レシェク・ゲッツェンドルフ=グラボフスキ氏が、製紙工房の景観を描いた透かし入りの漉き簀を制作し、今日も使用されています。

1995年には、教皇ヨハネ・パウロ2世のポーランド巡礼を記念し、博物館職員のユゼフ・カピツァ氏の手で、チェンストホヴァ市の紋章を描いた最初の透かし入り漉き簀が制作されました。カピツァ氏はこれをきっかけとして透かし入り漉き簀制作の専門家となり、透かし模様を約100種類も生み出しました。その中でも、16世紀末のドゥシニキ製紙工房の透かし模様をもとに制作された聖ペテロ像は傑作とされています。このほかカピツァ氏は、ドルヌィ・シロンスク県、ドゥシニキ=ズドゥルイ市、ヴァングロヴィエツ市、ポルコヴィツ市、ポーランド郵便の紋章も透かし模様で施しています。2011年に同氏は、ドルヌィ・シロンスク県議会事務局の依頼で、スウェーデンのシルヴィア王妃とカール16世グスタフ国王のための透かしも制作しました。カピツァ氏が制作した漉き簀は、実際の紙漉きで活躍するだけでなく、古来の製紙技術を説明するために展示されています。同氏はまた、イェジオルナ製紙工房にあった公用紙の漉き簀を復元し、19世紀前半からドゥシニキ製紙工房で用いられてきた漉き簀を複製(写真:下)するなどの偉業も成し遂げています。これらの漉き簀はいずれも、ポーランド紙幣の常設展示で紹介されています。2018年にカピツァ氏は、1562年という表示と製紙工房の景観をあしらった博物館のロゴや、展示室にあるカスパー・ラーツマン作の絵画『ヨセフとポティファルの妻』を模した透かしも手掛けました。これまでにカピツァ氏が制作した透かしの多くは、自治体、教会、企業、個人からの依頼によるものです。

現在では、ポーランド国立証券印刷株式会社(PWPW S.A.)から譲り受けた簀桁を用いて、ヨハネ・パウロ2世やフレデリク・ショパンの肖像が描かれたものなど、多階調の透かし入り紙も漉かれています。
このほか、花びらなどをすき込んだ飾り紙(写真:下)、封筒、レターセットも来館者に人気です。手漉きの紙で箱、しおり、メモ帳なども用意されています。近年では、博物館で考案された技法による花や情景をあしらった紙細工も好評を博しています。

また、ゾウの糞から漉いた珍しい「象の糞紙」も観光客に人気です。これはヴロツワフ動物園との協力により生まれたもので、ゾウの糞に含まれる未消化の藁や小枝を長時間洗浄して臭いを取り除き、細かく砕いたセルロース繊維を紙料にしています。

ドゥシニキ=ズドゥルイ製紙博物館は2023年に、ぼろ布から紙料を仕込んで紙を漉く中世の技法を再現することに成功し、その伝承に向けて大きく前進しました。現在は、100%綿のぼろ布から紙を漉き、表面を滑らかに整えるため、昔ながらの膠で仕上げ加工を施しています。そんな紙の一枚一枚が、先人たちの技を今に伝える役割を担っています。

ドゥシニキ=ズドゥルイ製紙博物館で生まれる手漉き紙は、記念品にとどまらず、16世紀頃と同様に実際の社会でも、学位記をはじめとする証書、書籍の通常版と限定版、記念印刷物、名刺向けなど、さまざまな用途で活用されています。ほぼ5世紀前この地で誕生した製紙工房の伝統は、博物館の手漉き工房で脈々と受け継がれています。